◇◇◇ シリーズ「思い出話」【第10回】極楽とんぼ ~風任せ人任せ~ (最終回) ◇◇◇

私の思い出話(極楽とんぼ ~風任せ人任せ~)

地熱開発エリアの選定と調査井掘削

既にお話ししたように全国から有望地区を13ヶ所選び、航空写真地質調査や地化学調査用のサンプル調査と称して温泉巡りをしたりして概査をしました。しかし、最初は地表徴候(温泉、噴気)に頼るしか術はありません。そこで、精査地域と称して伽藍岳(大分県別府市)、霧島(鹿児島県霧島町)それに滝上(大分県九重町)が選ばれました。その中で、国立公園外で近くに温泉がないとなり消去法で滝上が残った訳です。換言すれば、地表徴候の顕著なところは既存の開発会社が抑えていて、後発の出光が入れる隙間が無かったいうことです。

さて試掘では対外的および政治的に2,000m級の調査井を掘削する必要があり、偶々当たってしまったのが小口径調査井NE-1号井なのです。この経緯をお話ししましょう。

当時通産省の「大規模深度地熱開発」プロジェクトが九州豊肥地域で立案され、出光はそのスタッフ会社になり何とか発電所建設に関与したかったのです。しかし、1,000m超の地熱調査井を1本も掘削した経験のない出光では恰好がつきません。そこで、と私が何も経験と知識のない監督官として同井戸に派遣されました。

NE-1(小口径調査井)はトラブルもなく予定より早く掘り上がりましたが、深度2,000mで温度も仕上げ直後の坑内最高温度は160℃と低くタダの空井戸でした。ここまでは社外の地熱開発経験各社や大学の先生がご指摘された通りで、「滝上で発電所ができたら博多の中州を逆立ちして回ってやる」と事前に言われていました。馬鹿にされても経験ない辛さです。本社からはさっさと井戸を仕上げて本社に戻って来いと言われましたが、このまま丸の内本社に帰りたくはありませんでした。この上司が居らず旨いものと温泉付きの放し飼い生活を早々に手放すのは惜しいと思い、無い知恵を絞り200mの増掘を本社に申請したところあっさり認めてくれました(通産省への報告書作成のテンヤワンヤで現場まで目が届かなかった。と後で聞きました)。

それがたった増掘75mで熱水に当たってしまったのです。(坑井温度プロファイルが流体の存在を示す対流が示唆された。これもやっぱり後付けですよね。)

会社としての経験のない弱みで、NE-1は深部低比抵抗帯下部で熱水に遭遇したので、生産井TT-1は低比抵抗帯が厚く発達したところを掘ることになりました。しかし、何故成功したのかを論理的に説明できない私は、TT-1のターゲット決定に関与はできませんでした。後で分かるのですが低比抵抗帯は地下熱水活動と地下水の鬩ぎ合いの結果、粘土鉱物が発達して低比抵抗を示すもので透水性はありません(石油鉱床で言うと帽岩の性質に近い)。

TT-2の成功

さて生産井TT-1は3,000mまで掘って全くの空井戸でした。失敗と分かって数日後本社へ掘削結果説明に行くことになりました。大いに期待されたTT-1が全くのカラ振りだったので本社は暗い雰囲気、地熱開発社長に一人で説明に行かされたらいきなり罵倒され、失敗の責任が私一人に被されていると知りました。「TT-1は私が決めのではありません」と喉元まで出ましたが飲み込み、2日間で失敗の原因を纏め説明することになり、寝ずに一人で纏めました。

三日後の説明会(社長以下役職者10名出席)で失敗した理由と、二系統の断層の交点を狙ったTT-2を掘らせて下さいとお願いしました。その時未練がましいことを言ったのが、社長の逆鱗に触れ「お前なんか企業の技術屋ではない、辞めてしまえ!」と言われました。同会議では助け舟は全くありませんでしたが、TT-4号井まではコントラクターとの契約上掘らざるをえませんでした。リスクを取るのが嫌なのか誰も意見を言わないので、私のTT-2井戸位置の決定が反対もなくすんなりと承認されました。勿論外れたらさっさと退職するつもりでした。(我が家は伝統的に「火中の栗」を喜んで拾う血統のようです。)

TT-2は自分には初めて経験する傾斜井で、直径100mの球ターゲットを設定し、傾斜開始深度から直線に掘削されるものと思っておりました。傾斜掘削は作業の性質上直線目標から一旦大きく左に振り、それからカーブさせ目標を狙うことを知りませんでした。しかし結果として、当初定めた目標から全く違うところで透水性の高い破砕帯(リザバー)に当たってしまったのです。後日、結果報告に本社に向かいましたが、想定とは全く異なる箇所で当たったことは口が裂けても社長以下誰にも言えません。成功を自慢しない(出来ない!)ところが謙虚に見えたのでしょうか、大いに褒められ銀座で好きなお店へ行くのを許されました。(前号の同井の噴出試験の写真がありますが顔色が冴えません。通常ならガッツポーズしてもよいのでしょうが、何故成功したのか理由が分っていないからなのです。)

それ以降は殆どの井戸位置決定を任され、生産井・還元井をまとめて掘る際に10億円近くの稟議書を書かされました。上司、社長の印鑑と説明が必要で、承認されるのに半日は掛かると覚悟をしていたら15分で稟議が通ってしまいました。監査役に至っては引出しにある印鑑をお前が押しとけと言われる始末です。この調子だともし井戸が外れたら誰も責任を取ってくれないのではないかと不安になりましたが、後でこれは人を上手く使う方法であることがわかりました。必死にならざるを得ないからです。

不徳の致すところもあるのでしょう、近藤の決定する井戸はよく当たるが、実は誰が決めても当たるのではないかといわれる始末でした。(自分も内心そう思い始めていた。)しかし、世の中は不公平ですそうはならないのです。

TT-14号井の不思議

この他に強く印象に残るのが生産井TT-14R号井で、結果的に10MW(1万キロワット)以上の出力のある優良な井戸に仕上がりました。

実は、予定深度2,500mを掘削しても全くの空井戸で、今後どうするか検討している現場会議中に掘削リグが落雷の直撃を受け、作業員が安全帯を付けたままショック状態で櫓上部から宙にぶら下っていました。さらに、浚い作業中だったので掘削編成(掘管、カラー)の1,000m(数十トン)分以上を井戸の底に落下させてしまいました。この事故の後始末の回収作業は遅々として進まず、結局数100m分の回収を諦め残置したまま、補助金を貰うために再掘削を申請深度2,500mまで行う必要がありました。しかしこの結果20m程横にずれた位置で一番大きな出力を持つ優良な井戸に当たったという訳です。

その後

入社後12年間は地熱開発業務を担当しその後石油開発に配属されました。最初の海外での調査だったマレーシア・サラワク州のバラム河中流付近のジャングルで、石油開発㈱勤務時に単独で現地調査を行った記憶も懐かしい。

地元の旧首狩族であるイヴァン族の家(ロングハウスと呼ばれ、50家族が高床式の長屋に住んでいる)に泊めてもらったことがあります。言葉は全く通じないものの酋長達と痛飲意気投合し、お礼(?)に野球拳を披露したところ村を挙げて激賞されました。帰りにお礼として本物の吹矢セット一式(筒と毒矢)をプレゼントされました。後にも先にもこれほど迷惑なお土産は無いと思い、帰路途中でバラム川に投棄しようと思いましたが断念し、現在我が家に貴重な思い出として飾ってあります。

その後思うところあって40歳で出光を退職し、特殊半導体ビジネスで起業しました。こんな私の嫁は、元々高校時代の同級生です。昭和55年結婚しました。新婚の生活開始後2週間で長期出張となる等、半分は家に居ませんでしたので苦労させました。今では我が家に深く根を下ろしております。

来年の3月で65歳になるので現役は引退します。今後は出資した素材関係のヴェンチャーから技術営業を手伝ってほしいと言われており、第三の人生を始めます。まだまだ仕事はやめられません。また今も週に1回は60歳以上のリーグでサッカーをやり生傷は絶えませんが、まだまだ元気にしております。

それと地質学上当地は、「中央構造線」(大活断層)と「フォッサ・マグナ」(大地溝帯)の露頭に於ける 産状現象を観察したり研究者に教えて貰ったりするには最適地です。地質学への情熱は失われておらず、これらの資料を集めて 読み込み始めたところです。

また機会がありましたら石油開発時代のヴェトナムでのことや、24年会社を経営したことなどをお話ししたいと思います。

秋田大学鉱山学部を卒業して本当によかったと思います。そして地質学を学ぶことで秋田の大自然に触れられたことは何にも代えられない素晴らしい経験でした。

長い間お付き合いいただきまして誠にありがとうございました。また、このような機会をいただきました坂本支部長、清書していただいた加納理事に御礼申し上げます。

【寄稿】近藤充(GS52,GS54M)

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