◇◇◇ シリーズ「思い出話」【第7回】極楽とんぼ ~風任せ人任せ~ (1) ◇◇◇

私の思い出話(極楽とんぼ ~風任せ人任せ~)

 私は今年で65歳を迎えて現役を引退することになりました。岐阜の田舎で生まれ幼少期の石との出会いから秋大大学院卒業、さらに1978年出光興産への入社、40歳で退職し特殊半導体ビジネスで起業・・・。この波乱に富んだ人生を振り返って「思い出話極楽とんぼ (~風任せ人任せ~)」をご紹介したいと思います。

岩石との出会い

8歳まで岐阜市上川手にある母の実家に住んでおり、物心着いた頃からこの大きな古民家北側の窓より国鉄高山線越し聳える優美な金崋山を田園越しに眺めるのが日課であった。幼稚園(5歳)の頃かと記憶するが、ふと、なぜ高い山があるのか不思議に思い、村一番の物知りであった叔父に尋ねてみた。何でも大昔の地球は灼熱の巨大な火の玉であったが、その後冷却される段階で縮むこととなり皺となった。その名残が山々となったとのことであった。

俄然、好奇心が湧いてきて、その皺を間近で見て触れてみたい思いが募り、片道3kmの田圃の畦道を一人で走るように見に行った記憶があります。やっとの思いで崖(露頭)に辿りつき、固くて鋭利な石を手にしようとしたら早速手を切ってしまいました。夢中になって岩石を剥がそうとしていたと思います。気が付くとすっかり暗くなってしまっており、慌てて手を血だらけにして半泣きで家に帰ったら、心配していた家族に大いに怒られた。

後年、同岩石が美濃帯堆積岩類を構成するチャート(中生代、三畳紀260-230Ma)で深海に溜まった放散虫の死骸(化石)であることが判った時は大興奮でした。更に大学3年の京都巡検でこのことを解明した京都教育大学の井本伸廣先生(ブラタモリ#36出演)に直接お会いでき、嵐山の露頭を前にして直接説明を受けた時は感激であった。

高校時代に最も好きな科目は地学でした。今でも地向斜の発達概念図を描けます。しかし、大学入学まではサッカーとの恋愛で、石のことはご無沙汰となります。

次回第2回は、秋田大学での学生生活をご紹介します。

2年(S49春) 秋田大グランド サッカーが人生の全てだったころ

【寄稿】近藤充(GS52,GS54M)

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