アブダビ洋上にて
パーフォレータ(穿孔装置)の電気ケーブルの切断により軽油逆流か
その1年後の、やはり硫化水素含有ガスを対象としたガス坑井の作業事例。地下の油ガス層の圧力が1万ポンド(≒680atm)の高圧力であれば、坑井上部の設備機器、それに接続されるライン・パイプも1.5万ポンド耐圧のものを準備する。当然これらの事前の漏洩検査として水耐圧テストが必須となる。その漏洩検査の立会いもペトロレアム・エンジニアの私が一人で行うが、パイプラインの突然の破裂の可能性を含むので”死”と隣り合わせの作業である。それも無事終了し、坑井を生産管で仕上げた後に、パーフォレータ(ガス層へ穴を作るための穿孔装置、即ち、穴あけ機)による生産テスト対象のガス層に対する穿孔作業があった。
作業権限を有する私が業者のシュルンベルジェのドッグハウス(作業室)内で穿孔を指示。パーフォレータが爆発し穿孔が成功した兆候を確認した後に、パーフォレータの電気ケーブルの巻き上げを指示した。ところが、巻き上げ開始直後に電気ケーブルが切断されて坑井設備頂上部から落下し抑留された。原因は専門的すぎて割愛するが、切断された電気ケーブル数千m分とパーフォレータは約4000mの深度の管内坑底に残留されたことになる。これを回収しないことには次の作業に進めないから、回収専用機器を使用して、切断したワイヤーをつかみ回収を試みる。しかし、何度かつかみ上げるが途中で落下してしまい、なかなか地上まで回収できない。その間にも、海底下の貯留層にある高圧の油ガスが地上に向かいじわじわと押し出してくる。その結果、生産管内に予め入れていた軽油が高圧の油ガスに押し出され坑井外に漏洩する。更に危険となるのは、この回収作業に手間取って時間を食うと、高圧の硫化水素含有ガスが管内を上昇し充満すると坑内の圧力バランスが崩れて一気に暴噴の可能性が大きい。暴噴すると引火して爆発炎上で約20カ国80人の乗船員全員死亡という最悪シナリオになりかねない(昨年公開された“バーニング・オーシャン”や1956年公開されたリズ・テーラーとジェームズ・ディーン共演の”ジャイアンツ”を御参照)。他の乗船者全員がリグ上部のヘリデッキに避難している中、リグフロアでは私と回収業者の2人が残って回収作業を繰り返していたが、生きた心地のしない作業の連続だった。夜通しやって明け方にやっと回収が成功し、安堵、安堵。
気がつけば、海上に漏洩した軽油が、昇り始めた太陽に向かう”龍”にも似てキラキラと輝いていた。ところが、これは油汚染であり、直ちに自室で恐怖で狸寝入りをしていた同僚のパレスティナ人カンパニイ・マン(現場の掘削総責任者)を叩き起こして、スタンバイ・ボートに対し原油分散剤を向う5kmに渡って至急散布するよう指示を出すよう要請。ほどなく油汚染を処理できた。
アブダビ市街にて
夜半の高歌放吟にて、警察官の小銃による威嚇と尋問
約40年前、6年間だけアラブ首長国連邦の首都アブダビで過ごした。生活の半分以上は、ペルシャ湾の海上に浮かぶ石油ガス坑井の掘削・仕上げリグや生産プラットフォームで業務をすることになる。これらの作業は私の専門分野の範囲であり、昼夜のシフトを組む一般作業員や業者と異なり、私は監督責任者として24時間作業だから夜中も監督・エンジニアリング業務をすることになる。さて、1か月ほどの坑井の仕上げ作業を終了し、久しぶりに陸上に戻ると、若い単身赴任者はよく日本人スタッフの家族帯同の方のホーム・パーティに呼んで頂く。それは非常に嬉しい機会であり、地元のペルシャ湾から水揚げされた新鮮な海産物(例えば、ワタリガニ、大正えび、伊勢えびの仲間の錦えび、団扇えび、サザエ風ツブ貝などの甲殻類、巨大な紋甲イカに生マグロなど、珍しいところではアオウミガメ)を食材とした奥様の美味しい手料理を満喫できる至福の時である。当然、外国人居住区内では飲酒も可能で、ついつい度を越してしまいがちである。ある夜半過ぎのこと、秋田大学の後輩の地質屋と一緒だったので、昔のカッポレカッポレの大学時代の感覚に戻ってしまった。旧鉱專時代の寮歌や応援歌などを高歌放吟して中央公園を歩いていると、突然、スーダン系の2人組の警察官が目の前に現れて、年長者の方が、意味不明の言葉でしゃべっている。もう一人の若い警察官は、小銃を小脇にかかえ銃口を我々に向けている。後輩はシャキーンと直立不動になって、勝手に言い訳を続ける私を宥めながら、日本流に何度も何度も頭を下げて謝っている。次第に酔いも醒めてきた私は、小銃が発射されたときのイメージが浮かんだ途端に、まさに平身低頭に後輩以上にごめんなさいを懇請した。その結果、警官が今回は見逃してやるとのジェスチャーになったので、足早にその場を立ち去った。まさに冷や汗ものである。
【寄稿】佐藤晶彦(BS51,BS53M)
コメント
第1回北光会(UAE支部)の写真は大変興味深いですが、野口サンはBS45で同級生だった方でしょう。海外の単身赴任者にとって、妻帯者のご家庭に招かれて飯を食べるのは本当に有難い機会でした。