◇◇◇ シリーズ「思い出話」【第1回】「鉱物資源標本」の想い出 ◇◇◇

「鉱物資源標本」の想い出

現役引退も近づき昔の写真を整理していたら、1974年大学2年のときに作って大学祭で

販売した鉱物標本の写真があったので、懐かしさとともに思い出話を記させてもらいます。

これは秋田大学の大学祭の模擬店で販売するなら、大学らしい教養に繋がるものがよいだろ

うと、鉱山地質科有志で鉱物組標本を作って販売することになり、一般種標本24種50箱、

追加種標本24種20箱を作って、1箱500円で販売したものです。追加種標本24種はかなり

マニアックな内容となっています。肝心の標本は私が集めてあったものを小割りして、

番号を接着剤で貼って揃えましたが、中々鉱物種を標本が作れるだけ沢山集めるのが骨で、

褐鉄鉱などは普段から沢山集めてある鉱物種ではないため、標本にする段になって充分な量が

確保できず、浜井君が秋田市の天徳寺層を切る褐鉄鉱細脈から採集してきたもので、由井先生

から「もっと良い標本はなかったのかね」と言われたものです。

金銀鉱は小生が1年のときに北海道轟鉱山で採集したものでした。原油は、当時は秋田大学

からも近い旭川油田や八橋油田などが採油中で、田圃には油水分離のための槽が点在していま

したから、好きなだけ原油標本を集めることができましたし、帝国石油の方々も協力的でた。

原油の容器は弁当の醤油入れで、これは当時秋田駅前に市場街があって、そこの資材屋から

求めてきたものです。黒鉱は当時深沢鉱山が試掘を開始した頃で、丁度花岡鉱山堂屋敷選鉱所

の貯鉱舎に貨車で立派な塊状黒鉱が運び込まれていて、同和鉱業の方の許可を得て採集してき

たものです。斑岩銅鉱というのは実は山形県大張鉱山の銅鉱石のことで、本来は斑岩銅鉱様鉱

石とすべきでしょう。自然銀は兵庫県多田鉱山の斑銅鉱に伴うものです。ボーキサイトは静岡

県清水市の日本軽金属のアルミナ工場に行って頂いてきた標本で、豪州クインズランドのワイ

パ鉱床のもので、今となっては標本の一つひとつに想い出があります。

ブック型の箱は、かつて秋田で標本を作っていた方の在庫から分けて頂き、仕切りは市内の

箱屋さんに作って頂きました。パンフレットは、表紙以外はガリ版刷で、当時鉱山地質科金床

講座の由井俊三教授が「学科の名前を使うからには、解説文に文責がある」と言って、内容を

推敲してくださいました。例えば岩手県仙人鉱山の鉱床を接触交代鉱床にしたのですが、早稲

田大学の調査研究をもとに、むしろ熱水鉱床とすべきである旨を教授された記憶があります。

標本の産地をあえて記入しなかったのは、それぞれの標本が複数の産地から採集されたもの

であったためですが、購入者のなかには学術的な意味で産地を記載すべきである旨の意見を言

われた方もいました。また購入者には今は故人となられた渡辺武男学長、由井俊三教授、加納

博教授などがおられました。最初はなかなか売れず、由井俊三教授からは「売れなくとも決し

て安売りはするな」と言われたことを覚えています。大学祭後半では口コミが広がって売れ行

きは順調で、子供のために親が買っていくという場面も多かったようです。最後は標本が足り

なくなり、大急ぎで追加したり続編を作ったりしました。

1箱500円で売ったにも関わらず、費用が嵩んで利益は少なかったのですが、普段は高嶺の

花であった生協食堂のA定食を食べたり、学科の皆でコンパに繰り出す資金にしたり、それな

りに利益を活用しました。今となってはすべてが懐かしい想い出です。

【著者】五味 篤(GS52) 三井串木野鉱山(株)

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