「思い出話」(番外編:山刀)
先日、我が家で探し物をしていたら倉庫から15年以上前に手に入れたもののそのまま仕舞い忘れていた山刀(鉈)3本が出てきました。
右の2本は秋田マタギが主に熊の狩猟で山中に入るときに携帯使用するものです。一本で調理、仮設小屋の設営、仕留めた熊の解体等の全てに使うものです。
「ナガサ」に出会ったのは、今から50年近く前の鉱山地質3年の進級論文で阿仁町(現北秋田市)のフィールド調査で1か月ほど滞在した時です。ここは奥羽山脈のど真ん中で住民より熊の数の方が多いところです。沢には秋鮭が遡上してきますし、国道の脇でイワナが釣れます。
同町の根子部落に住む阿仁マタギの方に食事などを出していただき親切にしていただきました。大きな木造の家屋でその際にナガサのことを伺いました。彼が見せてくれたのは黒光りし、使い込んだ「袋ナガサ」と呼ばれる、柄の部分が金属の筒状になったものでした。(掲載した写真は「木の柄ナガサ」) 同「袋ナガサ」は柄のところに太い枝を差し込んで固定し槍のように使います。狩猟銃で仕留め損なって熊に反撃された場合にこれで喉を突くそうです。何人かで熊を狩猟しその場で解体しますが、最も価値のある「熊の胆」(胆嚢)とその他の部位や皮とに分配するそうです。その際に少量頂いた漢方薬の「熊の胆」は後に金と同じ価値があると知って驚いたことを覚えています。加えて、彼の山の王者である熊や自然に対する畏敬の念が強く感じられました。
左側の一本は三河山地(豊田市)の奥地で全国の猟師から評判の鍛冶職人がいると聞いて工房見学した際にお願いして手に入れたものです。鍛冶職人は安藤豊久氏(当時80歳)です。60年以上に亘り、一人で農具、包丁、山刀を製作されてきたそうです。驚いたのは、刃はもちろん柄、鍔(真鍮の叩きだし)、鞘、革細工まで全て本人の手作業です。最近は北海道のヒグマ猟師からの注文が多いと言っておられました。
仕事の合間には小さな工房の脇を流れる沢でアマゴ釣りを楽しむそうです。しかし、最近設楽ダムの建設に伴う立ち退きで、息子の住む都会に引っ越さなければならなくなったと寂しそうでした。
最初はどちらもその機能美に惹かれて手に入れました。しかしながら手にして眺めていると、今まで歩いてきた美しい豊かな日本の自然を感じるのは私だけでしょうか。このようなものを創り出せる職人達やマタギに遭うことが出来たことは僥倖でした。同じ刃物で武器である日本刀の威圧感や芸術性とは明らかに異なりますね。
【寄稿】東海北陸支部長 近藤充(GS51)