趣味の話題 ~「楽石庵閑話」~【第37話】足尾鉱山見学

「楽石庵閑話」~【第37話】足尾鉱山見学

別子(住友)・足尾(古河)そして日立(日産)各鉱山は、日本大銅山と呼ばれ戦前の財閥( )発展の礎を築いたことで知られる。足尾鉱山は学生時代、閉山間際の大変な時期に通洞坑を見学させてもらったが、最近愛石仲間と半世紀ぶりに訪れ、鉱山観光施設や周辺の史跡等を見学したのでその概要を紹介する。

さて足尾鉱山は、江戸時代初期の開坑から昭和48年の閉山まで約400年間の産銅量が82万トンに達し、明治の最盛期には日本の産銅量の40%を占めたとされる本邦屈指の大銅山であった。

鉱床は多金属型ゼノサーマル鉱床とされ、鉱物マニアが注目する多くの鉱物標本が残されているが、備前楯山の足尾流紋岩中の裂罅充填銅鉱脈は1400条、古生層中の塊状交代銅鉱床(所謂河鹿で大正時代に開発が進んだ)23条等多数記録され、坑道延長は1200㎞を超えている。

鉱山の閉山後、昭和55年に開業した通洞の坑内観光施設と、史跡にも指定されている足尾町内の旧鉱山施設群を紹介しよう。

足尾町の随所に残る鉱山施設と史跡本山(ほんざん)坑跡。

今回の訪問で一番驚いたのは、旧製錬所の煙害により草木一本生えない荒廃したかつての禿山が、営々と続けられた緑化事業で見事に植生が回復していたことである。日本鉱山史に大きな足跡を残した足尾鉱山が、その歴史と共に文化遺産として後世に大切に受け継がれることを期待しよう。

【寄稿】坂本憲仁(BS45)

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