「楽石庵閑話」~【第55話】足尾鉱山の錫石
尾平鉱山に続き錫石で、一見何だか分からぬ足尾鉱山産の標本を紹介しよう。
本鉱床は主に足尾流紋岩中に発達する裂罅充填性の鉱脈と、古生層のチャート及び流紋岩類中に生成する不規則塊状の河鹿鉱床とに分類される。又鉱床の説明には、必ず鉱脈の①中心帯=Sn-W-Bi-Cu帯 ②中間帯=Cu-As-Zn帯 ③周縁帯=Zn-Pb-Cu-As帯の累帯配列、塊状(河鹿)鉱床では中村威の研究で有越河鹿群の鉱化作用Sn-Bi期、Fe-Zn-As期、Cu期及び不毛期に分けられることが記され(草薙1963)、足尾鉱床を研究する上で錫鉱物の存在は極めて重要とされてきた。しかし戦前の足尾産鉱物を紹介した文献、例えば地質学雑誌掲載「足尾銅山産鉱物」(貴志1933)には不思議なことに錫石の記載はなく、錫鉱物の産出が広く知られるようになったのは戦後のことであろう。
また足尾では戦後まもなく亜鉛・鉛鉱石の終掘により銅の単一浮選に移行しており、錫鉱は戦前も多分稼行対象にはなっていなかったと推定される。こんな状況を考慮して今回の標本を見て頂きたい。
備前楯直下中心帯の鉱脈や通洞出合鉱化帯の有越河鹿群は、主要部は戦前に採掘を終了して戦後は入坑も困難な状態であった。今回紹介する標本には、東北大竹内博士の旧蔵含錫鉱石標本が含まれるが、いずれも戦前の坑内採集品で、博士から東京の老舗鉱物標本店が入手し、廃業に伴い市場へ出された標本である。
(1)本山坑本口沢上部ズリ石
ここは古いズリが残され鉱物産地として知られるが、上部には流紋岩中の鉱脈の露頭もあり入坑困難な中心帯鉱脈の産状を知ることの出来る場所となっている。本標本にはBi鉱物の有無は肉眼では判断できない。
- 所々石英が溶脱しているが薄墨状 の錫石や鉄重石結晶黄銅鉱もみられ中心帯鉱脈の産状が分かる
- 微細な錫石が含まれるが錫石は上部のみで12番以下には殆ど見られないとされる
- 石英中に薄板状の鉄重石がみられ、colloform状の錫石と共生することが多いとされる
(2)横間歩ヒ上16番坑河鹿産
横間歩ヒは足尾流紋岩中の鉱脈鉱床の主力鉱脈であり、16番坑は横間歩ヒの最上部として採掘された。本標本は微細な錫石が縞状をなし、錫鉱石として他に類例を見ない特異な産状である。
- 鉱脈河鹿の珪質岩中に黄銅鉱脈に貫かれ縞状に微細な錫石が発達
- 黄銅鉱と細かい錫石それに恐らく銅の二次鉱物が生成している
- 黄銅鉱細脈が何本も貫いており二枚目錫石部分はその破面だろう
(3)横間歩ヒ上14番坑河鹿産
流紋岩類中の鉱脈では、高温鉱物の錫石,鉄重石が鉱化の中心となった高所に限られて分布し、その下部に黄銅鉱帯が生成する垂直的な帯状配列が見られるとされる。
- 錫石は、石英に伴う不規則な微細集合体や縞状の膠状形態をなす
- 錫石・黄銅鉱の脈に銅の二次鉱物が生成している(左側下)
- 本標本も石英中に稍々茶色味ある微粒集合として不規則に含まれる
(4)新盛ヒ産(横間歩ヒと新盛ヒとの落合附近)
鉱脈主脈である両ヒの落合付近を中心にしてSn-W-Bi-Cu帯の鉱化が行われ、地表より下降するに従い鉱化帯は狭小となり、上12番坑レベル付近ではCu-As-Zn帯に漸移するとされる。
本標本はs16年採集と伝えられる旧竹内標本で、細かい黄銅鉱を伴い真鍮色の褐錫鉱微粒が多数みられ、錫石も何処かに含まれるのでは・・・と思われる。もし産出当時にこれらの標本の鉱物名を研究していたら、褐錫鉱(Cu8(Fe,Zn)3Sn2S12)の発見は金生鉱山(1969年)ではなく足尾鉱山になっていただろう。
- 黄銅鉱を交え褐錫鉱を含む部分がリング状にみられる
- 中心部付近には、石英中に黄銅鉱結晶がみられる
- 褐色~真鍮色の褐錫鉱微粒が大量に含まれる
【寄稿】坂本憲仁(BS45)