趣味の話題 ~「楽石庵閑話」~【第54話】尾平鉱山の錫鉱

「楽石庵閑話」~【第54話】尾平鉱山の錫鉱

尾平鉱山は三菱尾平と蔵内尾平とが稼行して、戦前から斧石結晶や長柱状の硫砒鉄鉱等、素晴らしい鉱物標本を産して海外にまでその名を知られた鉱山である。鉱山の歴史は古く江戸時代初期から錫鉱採掘が小規模に行われていたが、三菱鉱業が昭和10年に上田鉱業他の鉱区を譲り受けて三菱尾平鉱山が発足し、積極的な探鉱を行って三菱本・昭和等錫鉱の新鉱脈を発見し最盛期を迎えている。しかし戦後は急激に衰え昭和29年に閉山となった。一方の蔵内尾平は、明治30年にハジカミ谷一帯の借区権を入手して錫鉱採掘を始め、戦時中一時休山したが昭和21年に再開し、昭和34年の鉱脈枯渇による閉山まで錫・鉛・亜鉛の採掘が行われた。

尾平鉱床区は西南日本外帯に位置し,臼杵-八代構造線と大崩山の環状岩脈(第三紀の花崗斑岩)によって囲まれる錫-多金属鉱床帯で、旧新2種に大別される地質構造が発達する。ジュラ紀付加体の旧期構造には変成岩や古生代層等が帯状に配列し、これに伴う鉱脈群は単純な含錫石硫化物鉱脈と、構造線に接する石灰質岩に形成された銀鋪等のスカルン鉱床がある。また鉱脈とスカルン帯とは、大蔵鉱床の如く互に移化することがある。一方、第三紀の新期構造は、尾平断層とその前後に活動した祖母山火山岩や各種酸性貫入岩に関係し、これに伴う鉱床群は尾平断層に貫入した花崗斑岩附近に胚胎し、初期:錫鉱化作用(硼素期→Sn期)より、後期:硫化物鉱化作用にわたる数次の鉱化と、破砕~再裂開を繰返したテレスコープ型鉱脈鉱床である。初期には剪断裂罅に錫富鉱体を生じ(ハジカミ本ピ・三菱本ピ)、後期に不規則裂罅群を充たし銅砒脈鉱床が生成した。

さて本題の本鉱山産錫鉱であるが、戦後まもなく閉山しているため坑内で錫鉱採掘の切羽をみた方は恐らくもう存命されておらず、残された錫鉱標本も限られている。私が訪問した昭和40年代初めには、無論入坑はできず、廃水処理等で僅かに残った関係者の話を聞き、いくばくかの標本を入手できた。

それでは、三菱尾平産(1)(2)と蔵内尾平産(3)の錫鉱標本を紹介しよう。

1.錫鉱(石金):三菱本産の錫石富鉱部

花崗斑岩岩脈にほぼ並走する3条の鉱脈中の中央の脈が杉岩谷錫鉱脈であり、別名を三菱本とも云い三菱尾平出鉱量の大部分を供給したとされる。複雑な鉱化を受けた錫鉱を伴う気成脈とされるが、熱水性である銅砒脈との合流部では一部重複脈になって硫化物も多量に含む。本標本は所謂「石金」と称された錫富鉱部で。石英中に錫石が密集している。

2.スカルン中の錫鉱:三菱晶洞鉱床産

晶洞は近接する大蔵鉱床等と共にシルル系と花崗斑岩との境界部のスカルン鉱床とされ、錫鉱品位は本より低かった。本標本は方解石中に閃亜鉛鉱等を伴い、灰茶色の細粒錫石を部分的に含んでいる。

3.電気石を伴う気成脈中の錫石:蔵内尾平ハジカミ本ピ産

はじかみ谷錫鉱脈は全体として気成・熱水性の重複脈で豊富な脈石鉱物を産し、本は花崗斑岩と古期花崗閃緑岩との接触部附近に位置する。錫石は部分により変化はあるが、鉱脈全般にわたり散在したとされる。

【寄稿】坂本憲仁(BS45)

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