「楽石庵閑話」~【第38話】明延鉱山の縞状鉱石
多金属型ゼノサーマル鉱床の東の代表が足尾鉱山なら、西の代表は明延鉱山としたい。鉱山の歴史と新鉱物発見の実績から云えば生野鉱山でもよいのだが、戦後も会社が積極的に探査を進めS44年に富士野脈智恵門向立入れで着脈し、S50年代に入り智恵門脈群と称される大型主力脈として開発され、閉山まで稼行された実績のある明延がやはり西の代表であろう。
さて原色鉱石図鑑上巻の巻頭第1図版1は「明延鉱山・世谷7脈の錫タングステン鉱脈」と何とも地味な標本なのだが、その説明の一部を紹介すると「母岩に近いところにはその破片が鉱脈中に取り込まれて角礫状構造をしている。鉱物は脈壁に沿って累被的に沈澱結晶してゆくので、鉱物の種類によって平行な縞ができる」と鉱脈の基本的構造を説明し、次に図版の鉱物配列を母岩側から内側へ ①薄板状鉄重石(+微粒の錫石) ②黒色閃亜鉛鉱 ③淡緑色蛍石 としている。
手元の世谷産縞状鉱石を観察すると閃亜鉛鉱と蛍石以外は目視で判別し難いが、母岩側から縞状構造を成し(写真Ⅰ)角礫化した母岩を含み(写真Ⅳ)、反対側は黄銅鉱を含む石英脈で(写真Ⅵ)、図鑑説明と鉱脈の基本的構造は一致する。
一方、閉山まで主力脈だった智恵門脈群は、脈構造と鉱物共生から銅-亜鉛期(写真Ⅱ)とそれに続く錫-W期(写真Ⅲ)とに大別され、同じ西部地区のN-W脈でも産状は世谷脈とは異なり、帯状分布をなす明延鉱床の複雑さが良く分かる。
世谷脈産縞状鉱の詳細、黄錫鉱の産状等ルーペで観察しても興味は尽きない鉱石である。
明延鉱山と云えば東洋一の不夜城と云われた神子畑(みこばた)選鉱場が有名で、現在は跡地が観光施設として旧神子畑鉱山事務舎等と共に公開されている。斜面の選鉱場の建物は、H16年に惜しまれながら撤去されている(鉄スクラップの値段が上がったタイミングと伝わる)。
【寄稿】坂本憲仁(BS45)